さまざまな奇蹟体験

天分発揮

頭部隆起後、伝統工芸士として表彰される

 私は伝統工芸士の免許を持つ筆職人です。平成19年、入信前に神霊教の集まりに参加後、後頭部の隆起を体験。入信後はさらに頭頂部が隆起しました。それ以来、仕事への意欲がわき、平成23年度の「伝統的工芸品産業功労者等経済産業大臣表彰」において、表彰されました。
南部豊彦

広島県 南部豊彦

頭部隆起で性格改善、能力向上

 私は高校3年生の時に入信し、聖地・万寿山での御奉仕に参加すると、脳細胞が活性化する「頭部隆起」現象を体験しました。それにより、引っ込み思案で内向的な性格が外向的な性格へと変わり、集中力・記憶力が向上し、建築士の資格も取得しました。その後も、何度か頭部隆起を体験しました。最近では平成25年1月、57歳の時に前頭部左側に痛みを感じ、触ってみるとその部分が隆起していました。頭部隆起を体験し、神の力の偉大さに大変感動しています。
鈴木睦夫

神奈川県 鈴木睦夫

理想的な安産

自然分娩で元気な男の子を授かる

 私は長女を妊娠した時にGBS(B群溶血性連鎖球菌)が陽性と診断され、今回の妊娠ではとても心配でした。この菌に胎児が感染すると、細菌性髄膜炎や敗血症などを起こすことがあります。しかし薬を用いずに陰性になるという大きなお陰を賜りました。妊娠中はつわりもなく元気に過ごし、出産当日は陣痛の間隔があっという間に短くなり、破水からわずか5分で3690グラムの長男光希を自然分娩にてお授けいただきました。私は産後の回復がとても早く、また光希は母乳をよく飲み、健やかに成長しています。御守護の賜物と感謝しています。
水谷絢子

千葉県 水谷絢子

結婚7年目に待望の子宝を授かる

 私は平成7年に良縁を賜り、子宝は時が来れば授かるだろうと軽く考えていました。しかし、30代半ばになっても子宝を授からなかったため、平成14年、近所のクリニックで検査を受けると、体質的に受精しにくいことが分かりました。このことを機会に、夫婦の在り方を見つめ直し、お互いを思いやる心、協力する姿勢が欠けていたことを深く反省しました。
 すると、年が明けた平成15年1月に妊娠していることが分かったのです。まさに奇蹟だと思いました。息子を安産にて授かることができ、心身ともに健康に成長していることを神様に感謝しています。
平松佳津子

愛知県 平松佳津子

難病全治

心肺停止から生還し、驚異的回復

 私は、心筋梗塞の既往症から外出先で倒れ、数時間の心肺停止状態で発見されて病院へ搬送されました。すでに体の一部に硬直が始まり、家族は医師から葬儀も考えるよう言われました。私は人工呼吸器を取り付け意識不明の状態でしたが、妻が教会にて日に何度も祈ってくれたところ、3日目に意識が戻り4日目には人工呼吸器も点滴も外され、食事も取れるほど回復し、周囲の人々に驚かれました。
 入院中、医師から現状では車椅子生活で24時間看護になると言われ、またペースメーカーを入れる手術を再三勧められました。ところが退院するときは何の後遺症もなく、自足歩行ができるまでに回復しました。その後は日常生活を普通に送れるようになり、退院後の検診でここまで回復できるのは100人に1人いるかいないかであると言われました。お救いいただき感謝の気持ちでいっぱいです。
田中宣男

岐阜県 田中宣男

余命4カ月の子宮腺ガンを救われる

 私は、平成17年2月に子宮頸ガンが見つかり4月に摘出手術を受けましたが、平成20年12月に子宮腺ガンが再発し「余命は3、4ヶ月」と宣告されました。
 治療により頭髪はすべて抜け落ちてしまい、これを機に平成21年6月に主人とともに神霊教に入信しました。入信後も1ヶ月ほど抗ガン剤による治療を続けていましたが、強い貧血状態となり病院で輸血を勧められました。私は輸血に強い抵抗感があったため輸血を断り、薬の服用もこれを機に一切やめ、神様に一心にお縋りすることにしました。
 するとゼリー状の血の塊(毒素)を3回排出し、8月にCT検査を受けたところ、なんとガンがなくなっていました。以後3ヶ月ごとの検査でも異常は認められません。また抜け落ちていた髪は、入信後3ヶ月ほどして徐々に生え出し、以前より良い髪質になりました。
 そして、ガンがなくなり、5年がたち、医師から病院で検査を受けなくてもよいと言われました。教祖様にお救いいただき心から感謝しています。
高柳洋子

愛知県 高柳洋子

人生百般

津波にのまれるも救われる

 私の住む石巻市蛤浜の自宅は、東日本大震災で大きな被害が出た、海にほど近い所にあります。一昨年3月11日、自宅で地震に遭いました。車を津波から避難させるために自宅下の駐車場に行くと、津波が来て波はあっという間に頭の高さになりました。
 しかし、自然に体が浮き、不思議と石垣伝いに前へ進むことができました。階段の所まで進むと「よいしょ!」と押し上げられた感覚で海水から上がることができ、津波から逃れられたのです。津波にのまれてから階段に押し上げられるまで、全く慌てることもなく、安全な所へ自然に体が運ばれた感じでした。命をお救いいただきましたことを心より感謝しています。
亀山明子

宮城県 亀山明子

必死の祈りで津波が自宅前で止まる

 東日本大震災当日、車で石巻に行った帰りの運転中に地震に遭いました。海から直線で2kmの所にある仙台市宮城野区の自宅に危険を感じ、急いで帰宅しました。家に着いて海岸の方を見ると、漆黒の大津波がすべてをのみ込み、わが家に迫ってくるのが見えました。神の力がこもるものを自宅から津波に向かって何度も投げ「水よ止まれ」と叫び続けました。すると津波は家の前でピタリと止まったのです。
 付近一帯ではさらに500~600m先まで水が押し寄せたそうです。神の力により自宅の前で水の流れが変わり、この一角が中洲のように取り残された形で津波からお守りいただいたのです。神様に心から感謝しています。
宍戸寛治

宮城県 宍戸寛治

理想的な最期

母の素晴らしい転生に感激

 私の母・平松栄は平成17年に転生をしました。お別れのとき母を見ると髪が黒く、顔の染みも薄くなり、アゴは動くほど柔らかく、体はほんのり温かでした。手を合掌させようと指を一本一本組ませましたが、柔らかいというよりフワフワで、死後、約30時間たっても硬直がなく、素晴らしい転生現象に感激しました。
沼田時子

東京都 沼田時子

母・88歳で大安楽往生を

 母は晩年、加齢が生む老化はあったものの、いたって元気に過ごしていました。
いつも私より早く起床する母が起きてこないので、様子を見に部屋へ行くと、意識が朦朧としているようでした。病院へ行くと、呼吸不全による酸素不足から他の器官に障害が出ているので、今夜が山場だと言われました。昏睡状態が続きましたが翌日に覚醒し、家族全員が集まってそれぞれ会話をすることができました。そして翌朝、そのまま静かに満88歳で転生しました。
 母は死後、安らかな表情で髪も生え際が黒くなり、体も自由に動くほど柔らかく、納棺の時も背中に手を入れると温かく感じました。葬儀に参列して下さった方に「こんなに気持ちの良い、明るい葬儀は初めてで感激しました」と言われました。
 母は晩年、素晴らしい環境をお恵みいただき、幸せな境涯にしていただいて有り難いと口癖のように言っていました。御守護を賜り、心から感謝しています。
五島由美子

東京都 五島由美子